2017年12月27日水曜日

スタートの儀式

前に久しぶりに友達と集まってNintendo 64をやろうか、という事になった。
ゲーム機本体を用意した。
コード類も完璧に揃っている。
カセットもちゃんと準備してある。
コードをつなぎ、ソフトを差し込んだ。

さぁやるぞ!!
となるのだが、ゲームが起動しない。
本体の電源は入っているのだが、ソフトが読み込まれない。
そこから5分超に渡り、原因の検証が始まる。
コードが傷んでいるのではないか?ビデオ1で本当に間違いないのか?白と黄色と赤のコードは正しい場所に挿さっているか?
そして、やはり「カセットの差し具合が問題だ」ということになり、強めに差してみたり、優しく差してみたり、ふーふーしてみたり、と検証が続く。

そして、ついに64のロゴとともにゲームが起動する。
この瞬間、みんなから歓声が上がる。

一連の作業を終えた僕は、しみじみと「懐かしさ」を感じていた。
懐かしい……64はプレイ前にこの儀式があったのだ……

64の発売は1996年である。20年前はみんながこの儀式をしていた。
最終的にはブラウン管テレビの3色コードを挿すところがぐらぐらになり、何かを挟んだりして上手く画面が映るようにするまでがセットであった。
最近の僕といえば、指紋認証でiPhoneを開き、アプリを起動するだけの生活を送っている。
しかしやはりゲームの前にはこの儀式が大切なのではないか。
楽をすると良くない、と宮崎駿も言っていたではないか。

そう思いながら、先日プリンターで印刷をしようとしたら、全くもって上手くいかない。
プリンターにデータが送信されない、紙がつまる、破れると大わらわであった。
最後にはなんとか印刷にこぎつけたが、歓声は上げず、呪詛を吐きつけたのみであった。
機械での苦労は必要ないと実感した。

余談であるが、本日、中古で購入した「ピポサル2001」をプレイしようとしたところ、プレステ2なのにも関わらずディスクを読み込まず苦労した。
年越しまでにクリアしたいところである。


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