2017年12月19日火曜日

卵かけご飯

こだわりがあるかないか、で言えばこだわりのない人間ではない、と思う。
寝る時にどこから光が漏れていれば気になるし、ボールペンはなるべくsignoのキャップ式以外は使いたくない。
その一方で、3日間同じ服を着ていても気にならないし、3食4食カレーが続いても全く問題ない。カレーの場合はむしろ嬉しい。6食9食続いてもいい。

こだわりというのはなるべく持たない方が生きやすいに違いない。
目玉焼きが出された時に醤油だのソースだのいちいち注文をつけたりする必要もない。
さらに「料理店は必ずソースも一緒に出すべきだ」というような、はた迷惑なこだわりを持っている人は、ソースが出てこないたびにイライラするだろう。
その点、僕は目玉焼きなら醤油でもソースでも塩コショウでもなんでも良いため、ストレスレスに黄身と白身をつるっといける。黄身は半熟が良い。

一方で、こだわりが全くなければ、生き方に筋が無いように感じる。
こだわりとは「美学」である。
美学を持った人間は美しい。角度にもよるが。
僕は余分なこだわりが贅肉のようについているので、いささか不健康である。
しかし、贅肉だっていくらかは必要なのだ、とうそぶいてみる。
マシュマロ男子万歳。

ところで、料理へのこだわり、となるとまた話が混雑する。
大体、多くの人は料理をしないし、食に関してもそれほどこだわりがない。
しかし、というべきか、故に、というべきか単純な「料理」に関しては色々と紛糾することとなる。
つまり「卵かけご飯をどう作るか」である。

「卵の白身は分けるべきだ」という隔離主義者がいれば、「卵の白身と黄身をよく混ぜるべきだ」という同和主義者や、「卵の白身と黄身を混ぜ過ぎないべきだ」という多文化主義者がいる。
(白身だけ固まるくらいにレンチンすべきだというグルメ気取りもいる)

その他、「卵を直接ご飯の上で割る」「卵は小鉢で醤油と混ぜる」「小鉢で混ぜるが醤油は卵をご飯にかけてからかける」などなど、細分化されている。

一見こだわりがなさそうな人が、卵かけご飯に関しては熱く持論を展開するから面白い。
見た目からその人が「どんな卵かけご飯を作るのか」を予想するのはとても難しく、世界中の学者が頭を悩ませている。(これをTKG予想と言う)

これは海外でも同じなのだろうか。
アメリカではトーストに何を塗るかで喧々囂々の騒ぎとなり、イタリアではパスタに何をいれるかでみなが侃々諤々であろう。

最近、TKG予想がついに解かれたとの報道が世を賑わしている。
AIが顔写真から卵かけご飯の作り方を予測する日も近い。


追伸:
余談になるが、僕の卵かけご飯の作り方は「ごはんに醤油をぶっかけ、上に卵を落として軽く混ぜる」やつである。
また、僕の一番好きなトーストは「スキッピーのクランチピーナッツバターを厚塗りして、上からブルーベリージャムをいっぱい塗る」やつである。
後学に活かして頂きたい。

せっかくだから食べ物つながりで一緒に読む→「クワイ」

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